大阪高等裁判所 平成8年(う)740号 判決 1997年2月28日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年六月に処する。
原審における未決勾留日数中二二〇日を右刑に算入する。
平成七年一二月二六日付起訴状記載の公訴事実につき、被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人篠原俊一作成の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。
第一 控訴趣意中、原判示第一の事実(平成七年一二月二六日付起訴状記載の公訴事実と同一)に関する事実誤認の主張について
論旨は要するに、被告人はそもそも原判示第一のようにAに対して覚せい剤を譲渡したことはないのに、これを肯認した上さらに営利目的を認定して同事実につき有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。
そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討する。
一 原判決は、原判示第一において、平成七年一二月二六日付起訴状記載の公訴事実どおり、「被告人は、営利の目的で、みだりに、平成六年三月二二日午後七時ころ、大阪市中央区《番地略》甲野プラザ三〇六号室において、Aに対し、フェニルメチルアミノプロパンの塩類を含有する覚せい剤結晶粉末約〇・二グラムを自己のAに対する借金一万円の弁済に代えて譲り渡した」との事実を認定しているが、被告人は、捜査及び公判段階を通じ一貫して右事実を否認しており、右事実に対する直接の証拠は、Aの証言のみであるから、その信用性が問題となる。
二 まず、原審におけるA証言の内容は、概ね以下のようなものである。
1 Aは、平成五年一〇月ころ被告人と知り合い、それ以来、大阪市西成区内のウィークリーマンションにある被告人の自宅に出入りしていたが、当時、被告人は、自室において、B、C及びD子らを使うなどして覚せい剤を密売しており、A自身も平成五年一〇月ころから平成六年一月ころまでの間に、十数回覚せい剤を譲り受けていた。
2 被告人は、平成六年一月二〇日ころ、西成の暴力団である丙川会から縄張り争いで暴行を受け、それまでの場所で覚せい剤の密売ができなくなったため、大阪市中央区内の甲野プラザに転居して密売を続けることとし、当時たまたま父親の生命保険金を受け取っていたAに右転居費用等の借金を申し込んだ。
3 Aは、最初一〇万円、その後三〇万円を最高に一万円から一〇万円程度の金額で、平成六年三月二五日までに合計九六万円を貸し付け、この間被告人から一部返済を受けていた。この貸付及び返済の経過については証拠物であるノート(当審平成八年押第一四一号の1、以下「本件ノート」という。)に記載しており、被告人の手帳と照合したこともある。同年三月二五日段階では貸金の残額が五六万円位であった。
4 本件ノートには、平成六年三月二二日に一万円を返してもらったような記載があるが、これは被告人から覚せい剤を一万円分購入し、その代金を貸金の返済として相殺した際のものである。すなわち、Aは、そのころ電気、ガスが止められるほど生活費に困窮しており、貸金の返済を求めて夕方七時ころ被告人方を訪れたところ、覚せい剤〇・二から〇・三グラムを渡されて借金一万円と相殺する旨言われたため、これを了解して覚せい剤を受け取り、その場で本件ノートに返済として記載するとともに、その覚せい剤の一部を使用した。残りの覚せい剤は自宅に持ち帰ったと思うが、使ったかどうかはっきりしない。
三 右A証言のうち、平成五年から六年にかけての被告人の覚せい剤密売行為及び丙川会との争いによる転居の経過などの点は、原審公判廷においてB及びD子がこれに符合する証言をしており、これら三名の証言に加えて、平成七年九月になされた被告人の自宅における捜索時に、電子秤等の覚せい剤の小分け道具が発見されたことをも総合すれば、少なくとも、被告人が覚せい剤の密売を行っていたことはほぼ間違いのない事実であろうと考えられる。
そして、Aは、右のとおり覚せい剤の密売を行っていたとみられる被告人から覚せい剤を譲り受けた経過について前記二4のとおり証言しているのであり、それ自体としては格別不自然な内容とまでは言えず、その前後の金銭移動についてノート及び通帳にこれに符合する記載があることからすると、この覚せい剤譲受け部分の証言にも信用性を認めることができるようにも思われるのであるが、右証言内容には、以下のとおりこれを信用することを躊躇させる部分も存在する。
1 Aは、本件譲受けを平成六年三月二二日午後七時ころと特定し、これを自己の被告人に対する貸金及びその返済との関係で、本件ノートの記載と関連付けながら具体的に説明しているのであるから、本件譲受け供述と右貸金等に関する供述は表裏一体の関係にあるとも言うべきところ、右貸金等に関する供述が右各証拠物との関係で必ずしも納得できるものではない。
すなわち、本件ノートの問題となる部分には、Aの説明する記載方法を前提にすると、貸金の九六万円に相当する記載はあるものの、三月二五日(以下、特に断らない限り平成六年)現在で残額が五六万円となるような記載がなく、むしろ八十数万円の貸金が残っているような記載となっている。残額について記憶による証言とノートの記載とが一致しないというだけならば、平成六年初めのころの事実関係について平成八年に証言を求めているのであるから、証言の方が記憶違い又は記憶の薄れによって事実と異なっていると言うことも可能であるが、Aは、原審公判廷において「五六万ぐらい」と「ぐらい」という言葉を付けながらも細かい数字を明確にし、かつ本件ノートを被告人に示してこの金額を被告人の手帳と照合したと証言しているだけでなく、当審公判廷においては、三月八日以降被告人から数回にわたり合計三十数万円の返済を受けたと明確に証言しているのであって、この証言の具体性からすると、八十数万円という記載との大きなくい違いを単なる記憶違いということで説明できるものではない。
また、Aは、原審公判廷において、被告人が転居した一月二〇日以降、覚せい剤を十数回買い、そのうち数回は売買代金一万円から二万五〇〇〇円で貸金と相殺し、その他は現金で代金を支払った旨証言し、当審公判廷においても、三月八日以後も覚せい剤で貸金と相殺した分がある旨証言するが、本件ノートにはこれら相殺による返済に対応するような記載がない。
したがって、右貸金等に関するA証言を信用するとすれば、逆に本件ノートの記載が必ずしも正確に貸金の経過を記載したものではないということにならざるを得ないところ、Aは、当審公判廷において、右のように貸金残額が食い違った本件ノートを見せられて被告人が納得するはずがないとの点を追求されると、残額が五六万円であることは維持しながら、三月八日以後に本件ノートで照合したかどうかはわからないとか、別にシステム手帳を持っており、そちらに記載して照合したかも知れないなどと曖昧な証言をするに至っている。しかし、Aは、原審公判廷において、三月七日までは別のノートに付けていたものを本件ノートに書き写し、その後は本件ノートに直接記載したと明確に証言し、この説明によって本件ノートにおける三月八日前後で字体が変化していることの理由付けともしていたのであって、この証言内容の変遷は、Aが別に存在したと証言するノートないしシステム手帳の存在が確認されていないこととも相まって、本件ノートの記載内容に関する原審公判廷におけるA証言の信用性を失わせ、ひいては三月二二日の一万円の記載との関係で説明する本件譲受けの点に関する証言の信用性を失わせるものと言わざるを得ない。本件ノートの字体の点で言えば、Aは三月八日以後の本件ノートの字体の乱れについて、原審及び当審を通じて電車等で記入したためという説明をしているのであるが、この点も、三月二二日には被告人方で覚せい剤を譲り受けたその場で記入したとの前記二4の証言と内容的に矛盾しているのである。
なお、Aは、証拠物たる総合口座通帳(当審平成八年押第一四一号の2、以下「本件通帳」という。)に被告人の異名である「E」からの振込入金の記載があることについても、これが貸金返済の一部であるとして関連づけた証言をしているが、この振込は三月二三日と翌二四日の二回のみ各一万円の振込であって、それ自体として一月末からの継続的な貸金の返済の裏付けとしての証拠価値は低く、しかも、本件ノートには、三月二三日の返済欄に二万円の記載が、翌二四日の返済欄に一万円を記入しようとして抹消した記載がなされているのであり、いずれも本件通帳の振込入金の記載が本件ノートとまさに一致するものとも言えない。この点、Aは、二三日の分については、午前中に一万円を振り込んでもらい、夕方現金で一万円受け取った旨説明するが(二四日の分については記憶がないと証言)、これは後から付けた説明とも考えられるのであって、この説明によって本件ノートの証拠価値が客観的証拠によって高められたと評価すべきものではない。むしろ、振込入金という形態は、Aが被告人方にしばしば出入りしていたという状況には必ずしもそぐわないものであり、被告人が述べるように被告人方からAの足が遠のいていたのではないかとの疑いを生じさせるものとも言い得る。
2 また、Aの本件覚せい剤譲受けに関する部分の証言については、右のような本件ノート及び本件通帳との関係での不合理性を離れても、それ自体として、内容的に必ずしも素直に受け入れ難い点がある。
すなわち、Aは、前記のとおり、一月二〇日以降、被告人から覚せい剤を十数回買い、そのうち数回を貸金と相殺した他は現金で代金を支払った旨証言するが、少なくともAが金銭的にも窮してきたことが窺われる二月以降、貸金債権を有する被告人に対し覚せい剤の売買代金を現金で支払うということは、あり得ないことではないにしても不自然な感は否めず、Bが原審公判廷で証言する、被告人がAに対し借金返済のために覚せい剤を渡しており借金から覚せい剤代金を引いていくというような感じであったという内容とも一致しない。
さらに、Aは、原審公判廷において、本件覚せい剤譲受けの状況につき、被告人方で譲り受けた覚せい剤をその場で使用した旨証言しているところ、Aの譲り受けた覚せい剤の量は約〇・二グラムであって一、二回の使用で費消してしまう量ではないから、その残量が存在するはずであるのに、これをどうしたのかについて極めて曖昧である。一年以上前の事実であって記憶が薄れているという説明もできないではないが、Aが被告人からの覚せい剤譲受けを供述したのは、同人が平成六年三月二五日詐欺未遂により現行犯逮捕された際に尿を検査されて覚せい剤自己使用が発覚したためであって、当時、その使用経緯に関する捜査の過程において、既に「逮捕された三日前に被告人方で譲り受けた覚せい剤をその場で使用したのが最終使用であり、残った覚せい剤についてはどうしたかわからない」旨供述していたことが窺われるところ、覚せい剤使用事犯の捜査においては、一般に覚せい剤の最終使用を起訴することとされているから、捜査官としてもどの使用が最終使用であるかは重大な関心事であり、残ったはずの覚せい剤の所在については捜索などの捜査をするほか、当時かなりAを追求したはずであって、逮捕数日前の覚せい剤の所在あるいは処分先がわからないことは本来あり得ないはずである。もちろん、Aが何らかの事情で覚せい剤残部の所在あるいは処分先を秘匿することは十分考えられることであるが、そのような虚偽を含む可能性のある供述であれば、本件譲受けから使用に至る経過の部分のみ虚偽の疑いがないとして信用することも問題である。
3 以上のとおり、Aの本件覚せい剤譲受けに関する部分の証言は、その支えとなるかのような本件ノートと対比するとき、かえって不自然、不合理な部分が散見されるだけでなく、内容的にも必ずしも信用性が高いものとは言えず、これらの疑問点は当審における尋問によっても解消されない。
四 ところで、証言の信用性の判断に際して、あえて虚偽の証言をする理由がないという事情が考慮されることがあり、本件においても、A証言は従来交際のあった被告人を罪に陥れるものであるから、その動機が存在するかどうかも問題であろう。そこで、この点を検討すると、Aは、これまで覚せい剤取締法違反で四回検挙され、その三回目が本件譲受けと関係する自己使用であって、覚せい剤とのつながりは深いと認められるところ、このような者においてはその入手先を秘匿し、あるいは別の事実の発覚を避けるために虚偽の供述をする危険性は一般的に高いと言わざるを得ず、現に本件の原審公判廷では、現在捕まっている覚せい剤事犯での覚せい剤入手先は黙秘しているのであるから、本件譲受けの経過を供述した本件証言も一般的な虚偽の危険性をそもそも有していると言い得る。その上、Aは、自分が平成六年三月二四日に被告人方に借金の催促に行ったところ、他人名義のクレジットカードを渡された事実があり、これを翌二五日に使おうとして詐欺未遂ということで逮捕され、これにより覚せい剤使用も発覚して両罪で有罪の判決を受けたという証言をしており、被告人からクレジットカードを受け取ったことが真実かどうかは不明であるものの(被告人はこの事実を否定している。)、虚偽であるとすれば詐欺の責任を被告人に被せようとする態度の表れと評価できるし、真実であるとすればそのことを恨みに覚せい剤について被告人を陥れようとする動機になり得るものであって、右カードに関するA証言は、いずれにしても本件譲受けに関する虚偽供述の動機の存在の可能性を窺わせるものである。
五 右のとおり、被告人の本件覚せい剤譲渡に関する直接証拠であるA証言にはいくつかの疑問点があり、これを十分に信用できるものと評価することは困難である。一方、被告人の捜査段階以来の供述は、被告人が覚せい剤の密売を行っていたことを否定しようとするためになされた虚偽の供述であって、到底信用できないものであるけれども、この虚偽の供述をしていることが、個別の取引行為である本件覚せい剤譲渡の事実に関するA証言の信用性を高めるものでないことは言うまでもない。そして、B及びD子の原審公判廷における各証言が、本件覚せい剤譲渡の事実に関する直接の証拠にならないことは冒頭に述べたとおりであるから、結局、本件覚せい剤譲渡の訴因については、合理的な疑いを容れない程度の立証が尽くされているとは認め難い。
そうすると、同訴因が認められるとしてこれについて有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があると言わざるをえず、この点の論旨は理由がある。
第二 控訴趣意中、量刑不当の主張について
論旨は、原判決の量刑不当を主張するところ、原判決判示第一の事実については前記のとおり無罪であるから、原判決判示第二の事実について所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討すると、本件は、覚せい剤自己使用一件の事案であるが、被告人は、同種前科二犯を有しており、しかも本件が平成六年七月一二日に覚せい剤の自己使用により懲役一年六月、保護観察付執行猶予五年の判決を受けた執行猶予期間中になされたものであることからすると、その親和性、常習性は明らかであり、被告人が密売に携わっていたことが窺われるような状況もあわせ考えると、その刑責は軽視できない。したがって、右執行猶予が取り消されること、被告人が今後は覚せい剤に手を出さない旨述べていることなど被告人に酌むべき事情を斟酌しても、被告人を懲役一年六月に処した原判決の量刑が刑期自体として不当に重いとは言えない。
しかしながら、原審における未決勾留日数の算入について検討すると、原審の審理経過は、平成七年一〇月一九日、原判示第二の事実について公訴が提起され、同年一一月二一日の第一回公判期日に被告人は右事実を否認したものの、同年一二月一九日の第二回公判期日には被告人が同事実を認めて主たる証拠調べも終了し、その後の同月二六日、今度は原判示第一の事実について公訴が提起されて右事件に併合され、以後同事実に関して証人尋問等の審理が行われ、平成八年六月二〇日、右各事実に対して有罪の原判決が言い渡された、というものであるところ、原判決は右経過を前提に原審における未決勾留日数中一二〇日を原判示第一の事実の懲役刑に、同じく五〇日を原判示第二の事実の刑に算入しているのであるが、前記のとおり判示第一の事実につき有罪と認められない以上、原審における未決勾留日数はすべて原判示第二の事実の刑に対する裁定算入の対象となるのであり、これを前提に算入すべき日数を考慮すべきである。してみると、右審理経過に照らし、原審における未決勾留日数の算入は少なきに失すると言わねばならないから、これは量刑が不当であることに帰する。結論において量刑不当の論旨は理由がある。
第三 結論
以上によれば、原判決中、原判決判示第一の事実に関する部分については、判決に影響を及ぼすべき事実誤認があるから刑訴法三九七条一項、三八二条により、原判決判示第二の事実に関する部分については、量刑が不当であるから同法三九七条一項、三八一条により、いずれも原判決を破棄した上、同法四〇〇条ただし書に従い更に判決することとし、まず、原判決の認定した原判示第二の事実について、その罪となるべき事実に原判決の挙示する法条を適用し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中二二〇日を右刑に算入することとし、また、平成七年一二月二六日付起訴状記載の公訴事実については、前記のとおりの理由で犯罪の証明がないものとして、刑訴法三三六条により無罪を言渡すこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 角谷三千夫 裁判官 古川 博 裁判官 鹿野伸二)